院長ブログ

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2008.08.24更新


長いお休みをいただき、念願かなってイタリアへ行ってまいりました。無事帰国し、診療を再開しております。

 英語も出来ないくせに、夫婦二人で個人旅行でフィレンツェ、アッシジ、ミラノへ行ってまいりました。

 全てが順調に運びまことにラッキー、天気にもずっと恵まれました。でも飛行機でも遅れ乗り継ぎが出来ないとか起こっていたら、どうなっていたのだろうと、われながら大胆なことをしたと思います。

 イタリアでは毎日が感動の連続でした。着いた夜フィレンツェの空港からホテルへ向かうタクシーが、ドゥオーモの横を抜けて行くのにまず感激、ホテルの窓からもドゥオーモの丸屋根が見えます。この景色を見ながら一杯やるのが夢でした。

 翌日は、ウフィーツィ美術館で受胎告知(ダ・ビンチ)やウルビーノのビーナス(ティツイアーノ)と再会、ボッティチェリの春・ビーナスの誕生と対面、そのほか日本に持ってきたら一枚で展覧会が開けそうな絵がゴロゴロしています。ドゥオーモ付属美術館、訪れる人は少ないのですがドナテッロのマグダラのマリア像やギベルティの天国の門のオリジナルといった重要作品に会えました。

 次の日は早起きして、まずサンティッシマ・アンヌンツィアータ教会へ、天使が描いたと言い伝えらる聖母子像がある地元の人の信仰を集めている教会です。見学していると礼拝が始まりました。端の方で座っていると最後に地元のおじさんが握手を求めてグラーツィエ(ありがとう)と言っててくれました。とても心が癒される気がしました。次にアカデミア美術館、ミケランジェロのダビデ像です。若々しく力と気力溢れるその姿は迫力の一言です(こことウフィーツィは予約して正解だった)。まだ午前中なのでさらにサンマルコ美術館へ。フラ・アンジェリコの優しさに満ちた受胎告知にダビデで昂ぶった神経が静められます。午後からは中央市場、メディチ家礼拝堂など欲張ってしまいました。素晴らしい芸術でも一日に味わうのはほどほどにしておいた方が良いと感じました。食欲と一緒でしょう。どんな美味しい料理でも食べ過ぎは良くない。

 滞在4日目はラファエロで有名なパラティーナ美術館へ行きました。 メディチ家の宮殿のコレクションを当時の雰囲気そのままに展示してある美術館です。小椅子の聖母、ヴェールの女などラファエロ大好きな私にはこたえられない美術館ですが、絵が縦3段に飾られ、天井までびっしり装飾がほどこされた空間は少々息苦しくとても疲れました。午後からはバスに乗ってミケランジェロ広場へ。少し俗っぽいですがそこからの眺めは素晴らしいものでした。最高の風景を眺めながらビールを一杯。来て良かったと心から思える一瞬でした。

投稿者: PL607935010

2008.08.12更新

ご迷惑をおかけしますが、8月14日より21日まで夏休みをいただきます。

 子供たちも大学生、親がしばらくいなくても勝手に生きているでしょう。多分に怪しいところはありますが、そういうことにして、親たちは1週間の予定でイタリアのフィレンツェ、アッシジ、ミラノに行ってくることにしました。海外に出るのは新婚旅行以来、その上英語も出来ないくせに、個人旅行で列車での移動と大胆なことを考えてしまいました。

 無事帰ってこれたら22日診療を再開いたします。旅行の顛末はまたご報告いたします。皆様、チャオ!

投稿者: PL607935010

2008.04.13更新

今日ミュージカルSEMPO観て来ました。SEMPOとは迫害を受けた多くのユダヤ人に日本のビザを独断で発行することによって、多くの命を救ったリトアニア駐在の副領事杉原千畝氏のことです。

 中島みゆきさんのファン(妻は追っかけと私を呼びます)としては中島さん作詞作曲の初ミュージカルと聞いて、行かない訳にはいきません。一寸残念なことに中島さんの曲は6曲だけでした。でも聴くとすぐ判りました。詞も曲も独特の雰囲気に加えて、輝きを感じたのは私がファンだからでしょうか。主演の吉川晃司さんも曲を書いていてこれも良い出来でした。あとの曲は外国の方で可も不可もなしといったところでした。
 第一幕は第二次世界大戦前の世界情勢がミュージカル仕立てで延々と続き、一寸退屈気味でしたが、最後に千畝役の吉川さんソロが素晴らしく、突然引き締まりました。
 第二幕はナチスに占領されたポーランドからリトアニアに脱出してきた多くのユダヤ人達に、千畝が日本の外務省の訓令と、リトアニアを当時占領していたソ連の退去勧告を無視して、自らの立場を危うくすることも省みず、ひたすらに命を救うため、強制退去させられる駅のホームまでビザを書き続ける、感動的なストーリーで、最後中島さんのNOWで大いに盛り上がって終わりました。途中からは見ていて涙が止まりませんでした。杉原千畝が発給したビザで救われたユダヤ人は実に六千人に及び、リトアニアはその後ナチスに占領され二十万人のユダヤ人が犠牲になったそうです。
 戦後千畝は外務省を解雇(外務省によれば依願退職)されます。ビザの発給を受けたユダヤ人達は日本に渡り、一部はアメリカへ達し、日米が開戦したあとは上海のゲットーへ送られ終戦まで生きながらえます。1985年千畝はイスラエル政府から諸国民の中の正義の人として表彰され、顕彰碑が作られます。翌年千畝は亡くなり、外務省が’杉原副領事は、勇気ある人道的行為を行ったと認識している’と認めたのはさらに5年後のことです。

投稿者: PL607935010

2008.04.13更新

今年に入ってから、どういうわけでしょうか、淋病が目立ちます。風俗店へ行ったり、無防備なセックスがあった翌日から数日後に、尿道から膿がダラダラと流れ出す典型的な淋病が多いのですが、クラミジアと判断に悩む比較的軽症のケースもよくみられます。

 去年から淋菌とクラミジアを同時に検査することが保険で認められましたが、結果が出るまで1週間かかってしまうので、いま苦しんでいる患者様のためには、エイッと経験に頼った直感で治療を開始しなくてはなりません。なお、淋病とクラミジアはしばしば同時に感染しますので、どちらなのか判断がつかなくて当然の場合もあります。

 淋菌という菌が抗生物質への耐性の獲得が非常に早い菌なので、新しい薬が出てもじきに効かなくなってしまいます。そんな中でも現在一番有効性が高いのは、セフトリアキソンあるいはスペクチノマイシンという2種類の薬で、両方とも注射薬です。飲み薬だけで淋病を治すのは今では殆ど不可能です。このことをご存知ない医師が多いため、あるいは派手に宣伝している保険を扱わない医療機関の中には故意に治療を引き延ばすため(?)、飲み薬だけで治療を受けて何週間も悩み苦しんでいる方もしばしばお見受けします。

 先日は注射をしましょうと言ったら逃げてしまった方もいらっしゃいましたが、今頃どうされているでしょうか。淋病は放っておくと尿道にとどまらず、奥へ入って行き、精巣が腫れあがったりすることもある恐ろしい病気です。注射が痛いのは一瞬です。怖がっていないで当院へお越し下さい。保険証をご持参いただいて、淋病かクラミジアで治療するなら多分4000円以内でおさまります。

投稿者: PL607935010

2008.03.20更新

平成20年8月より気管支喘息の医療費自己負担分に対する東京都の助成が従来の18歳未満から、全ての年齢に拡大されます。これは東京大気汚染訴訟の原告と国、都、自動車メーカー7社、首都高速道路会社との間に成立した和解を受けて、創設された制度です。

追記:原資が無くなったため平成27年3月末で新規申請が締め切られました。認定を受けられている方は平成30年3月末まで無料継続。それ以降は1ヶ月の自己負担6000円を超えた分について補助が行われることに決定しました。詳しくはこちら

投稿者: PL607935010

2008.02.29更新

生来の筆不精に加えて、最近テンションが低く、更新が2ヶ月もご無沙汰しておりました。
現在中国広州で世界卓球選手権が行われております。

日本女子チームは予選を全勝で通過し、準々決勝も勝利しましたが、本日の準決勝シンガポール戦で0-3で敗れ銅メダルとなりました。敗れはしましたが、これまでの戦いぶりは素晴らしいものでした。特に予選のグループ一位を賭けた、韓国との戦いの2勝2敗で迎えた最終試合での、ファイナルセットまでもつれこんでからの福原愛選手の驚異的な粘りと、勝利しての涙、彼女を迎えるチーム全員も涙、涙。見ていた私も思わず涙ぐんでしまいました。福原選手だけでなく、準々決勝まで全勝でチームを引っ張った平野早矢香選手、世界一と言われる変幻自在なサーブで相手を翻弄した福岡春菜選手、若干15歳で日の丸を背負い強豪に善戦した石川佳純選手、チームをまとめ自身も勝利を挙げたキャプテン藤井寛子選手、皆素晴らしい頑張りでした。心から拍手を贈りたいと思います。皆若い選手達なので次回の横浜大会ではより一層の期待が持てそうです。
 今でこそデブですが、私も学生時代は卓球部に所属しておりました。教室で過ごした時間よりも卓球場で過ごした時間のほうが長いほどです。機会が有ったらまたやりたい気持ちは有りますが、アキレス腱を切るか、心臓発作を起こすかしそうなので、想像するだけにしておきます。
 男子チームも銅メダル以上を確定し、明日準決勝です。テレビの前で精一杯応援したいと思います。

投稿者: PL607935010

2007.12.31更新

年内の篠崎医院の診療は29日で終わり、今日は江戸川医師会の急病診療所へ出ておりました。ノロとインフルエンザの流行が重なり大忙しの年末でした。

 おかげさまで当院へお越しいただいた患者様もはじめて月500人を超えました。有り難いことです。

新年は2日にまた急病診療所へ出て、5日から篠崎医院での診療をはじめます。8月には少し長めにお休みをいただいて、念願だったイタリアへ旅行したいと思っています。そのためイタリア語を勉強中ですが、大分頭が固くなっているようで、覚えが悪くて困ります。

 新しい年が皆様にとってよき年となりますように。篠崎医院も引き続きよろしくお願いいたします。

投稿者: PL607935010

2007.11.27更新


インフルエンザの予防接種がピークで普段の日が結構忙しいので、混雑を覚悟で上野の国立西洋美術館で行われているムンク展に休日に行ってきました。案の定切符売り場から行列でした。

 ムンクは昔から、魂に訴えかけてくるような”叫び”が心に響き、好きでした。独身時代”マドンナ”のパネルを壁に飾っていたのですが、結婚した途端、妻に捨てられてしまった思い出もあります。

 ”不安””絶望””吸血鬼””死の苦しみ””屍臭”と恐ろしげなタイトルの作品が続きます。鬱病が急激に増えている現代に生きる人間には(少なくとも私には)むしろ共感を持って受け入れられるものでした。

 中学生以下入場料無料のせいでしょうか、子供たちの姿をおおぜい見かけました。感想を聞いてみたいところでしたが、感動を受けたのでしょうか。いずれにせよムンク好きの子供がどのように成長していくのか楽しみに思いました。

投稿者: PL607935010

2007.11.25更新

少し前のことになりますがお叱りを受けそうで書けないでいたことです。

 先日東京国際フォーラムの中島みゆきさんのコンサートツアー2007に行ってきました。お子様が行きそうも無いコンサートで、平日にしては開始時間が18時半と早いため診療を早仕舞いさせていただきました。けしからんと怒らないで下さい。

 中島みゆきさんと言うと、暗いとか病的とか泣いてしまいそうとか、嫌いな人も多いようです。

 確かにエレーンや異国といった救いのない曲もありますが、むしろMaybeや糸、命の別名など傷ついた心を理解して寄り添ってくれるような曲の方が多く、最近では世のおじさんたちに勇気をくれる地上の星や背広の下のロックンロールなどが印象的です。

 この日のコンサートは失恋から立ち直る女性を歌った御機嫌如何にはじまり、歌のイメージとかけ離れた例のようなトークがあり、1人で生まれて来たのだから 、あなたでなければ、 一期一会と寂しさを抱えた人への共感を感じる曲が続き、その後日によって曲が違う3曲(この日はEAST ASIA、蕎麦屋、糸)、かつて高校生の頃聴いて育ったオールナイトニッポンを思い出させるお便りコーナーがあり、宙船やファイトが続きました。”言葉なんて迫力がない、言葉はなんて なんて弱いんだろう”と中島さんのような言葉使いが書いたとは思えない歌詞がとても印象的なボディ・トーク、”頑張ってから死にたいな”の重き荷を負いてもすばらしい迫力で、我々おじさんたちへのエールにきこえる地上の星、背広の下のロックンロールで締めくくられました。最後は会場総立ちでした。

 12月にまた東京にツアーが戻ってくるので、出来ればもう1回聴きに行きたいと思っています。今度は皆様に迷惑をかけないよう週末に行くつもりです。但しチケットをもう持っていないのでオークションで何とかならないか、連日ヤフーを見ています。

投稿者: PL607935010

2007.11.25更新

小生江戸川区の介護保険の認定審査委員を務めております。介護保険のサービスを希望された方が、区に申請を出すと、区から調査員がお宅まで伺って調査票を作成して提出します。同時に主治医に意見書の提出が求められます。個人情報を伏せたかたちで、2種類の書類がわれわれ認定審査委員のところに回されて事前に検討のうえ、持ち寄って委員会を開き、申請者が受けられるサービスのランクを決定する仕組みです。

 江戸川区の場合、各委員には3ヶ月に当番の月が回ってきて、その月には普通2回の委員会が開かれます。ここのところ申請者が多いようで今月は委員会が3回、1回当たりの人数も若干増やされています。

 委員会は開催日時ごとの8つのグループにわかれ、各委員が3ヶ月に1度、委員会は4人の委員で行われますから江戸川区には約100人の委員がいることになります。委員は医師や歯科医師、薬剤師、理学療法士、ケアマネージャー、介護施設のスタッフ等から偏らないように選ばれていますが、各委員会に医師は必ず1名は入ることになっています。

 委員会の1週間前になると54人分の書類の束が送られてきます。各人にはコンピュータによって、軽いほうから非該当、要支援1と2、要介護1から5の8段階の一次判定が付けられています。、我々の仕事は書類の隅々まで目を通して、その一次判定で異存がないか、変更するべきとしたらその理由は何かということを考え、委員会当日持ち寄って最終判定をくだすことにあります。具体的な理由なしに一次判定を変更することは許されていません。

 54人分の書類にはそれぞれの方の人生の縮図が詰まっています。若くして認知症におかされた方、癌の痛みで身動きがままならない方、不自由な体で人の力を借りず独力でやっていこうとされる方、介護していた方が耐え切れなくなって助けを求めているケースなど実にさまざまです。これほど重い読み物は他に無いかもしれません。酒飲みの小生もこの書類の束に目を通すときは酒を控えております。

 今週はまた委員会です。3晩かけて書類の束には目を通し終わりました。あとは心の準備です。

投稿者: PL607935010

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